巴里のアメリカ人

在宅勤務になって、もうすぐひとつきが経つ。 最近の小さな楽しみは、週に1回スーパーでお買い物をする帰りに近くのお店でデリをテイクアウトすること。フランス人のオーナーが営んでいて、店内に入るといつもBonjour!と満面の笑顔で出迎えてくれる。そこでだけちょっぴり異国気分を味わえるのだ。 ムッシューのつくるニース風サラダは今日もとっても美味しくて、苦手なズッキーニもぺろりと食べてしまった。 ゆうべはバイオリズムの関係と偏頭痛で、仕事を早々に終えてベッドに潜り込んだ。眠れないので、映画をかける。晴れやかなラブコメディの気分だったので、『タイピスト!(原題: Populaire)』にきまり。

タイピスト!』をみるたびに、フランスが憧れるアメリカ、というものを考える。 この映画、恋と仕事とタイプライターに励む女性が、支えてくれた男性と恋に落ちるラブストーリーと思わせて、「フランスvsアメリカ」を真っ向から描いた物語でもあるのだ。 そもそも仏映画といえば、ロメールゴダールの作品に代表されるような哲学的なおしゃべりと憂いのある映像が定番。それにはハリウッドが作る大衆的なロマンス映画に対しての、「自分たちの作品のほうがウィットに富んでいて、すばらしいものだ」という自負すら覚える。 だから、こういった真逆の作品に出会うと、フランスの“ほんとうはもっている”アメリカ愛をひしひしと感じて、ときめきさえ生まれてくる。 フランス国内での争いを勝ち抜けて、最終戦で戦った相手もやっぱりアメリカ、というところもぬかりない。 きわめつけはこの台詞。 アメリカ人はビジネスを、フランス人は愛を。 この言葉で、自分たちの国の誇りと知性を保っているのだろう。なんてわかりやすくて、愛おしい。
翌朝、起きぬけにかけたのはガーシュウィン。 フランス音楽に憧れながら、アメリカを代表とする作曲家として大成し、アメリカらしい音楽を貫いたひと。 ミュージカル映画『巴里のアメリカ人』は表題の通り、画家を目指す在仏アメリカ人の物語だ。パリに焦がれ、フランスで認められる音楽家になりたいともがいたガーシュウィンだからこそ書けた作品なのではないかと思う。

この曲の対に思い浮かぶのはラヴェルのピアノ協奏曲。 弟子入りを志願したガーシュウィンに、「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言った話はあまりにも有名だけれど……。その音楽の裏には、溢れすぎるアメリカへの羨望があったんじゃないか。 だって、フランス人はひとをほめるとき、どんなによくても"C'est pas mal(悪くないね)"としか言わないもの。 それ、めちゃくちゃほめ言葉だよ。 アングロ・サクソン系の監督が撮ったスペインやイタリアでのバカンス映画とか、ソフィア・コッポラが東京を撮った『ロスト・イン・トランスレーション』とか、他国の目を通してその国の文化をみることは、いつも新鮮でみずみずしくて、だからやめられない。
近頃の海外文化と言えばどんどんドメスティックな流れになっていて、おしゃれ女子はこぞってハワイやタイに行き、流行はいつも韓国と上海から発信される。 ヨーロッパに憧れを馳せる少女は、もう絶滅危惧種なのかもしれない。 だけどやっぱり、私は欧米のカルチャー、とくにフランス文化を愛し続けたいとおもう。 歴史と伝統、そしてユーモアを、その作品から感じられる限り。