ヘンデルの福音(イースターによせて)

降誕節にはバッハを、復活節にはヘンデルを」が密かなモットーである。 ヘンデルは年末に演奏を聴く機会が多い作曲家だが、わたしのなかではイースターのあるこの時期にこそ聴きたい音楽でもある。《メサイア》がとりわけ有名であるが、受難から復活までにフォーカスしたオラトリオ《復活》も忘れてはならない。 あまり知られていないが、キリスト教ではこの“復活”というものがものすごく重要に語られる。ユダヤ教にはなかったものだからだ。 アドベントの、一週にひとつずつ蝋燭に火が灯されるあのワクワク感も好きなのだけれど、ひとつずつ灯火が消えていく苦しい受難節が終わり、再び一斉に火が灯される復活祭の日は、春という季節の後押しもあって、生命の芽吹きを感じるたまらなく好きな1日である。

ヘンデルは教会オルガニストとしてキャリアを始めたものの、劇場の音楽で名を馳せたということから、あまり宗教色強く語られることは少ない。 だけれど、私はヘンデルの音楽の情景ひとつひとつに、清冽な光と愛を感じることがある。 それは、《メサイア》のような宗教主題でも、《水上の音楽》のような宮廷の風景でも、「オンブラ・マイ・フ」のような自然の一場面であっても、常に同じように存在するものだ。 重要な謎が隠されているわけでも、大仰なメッセージが込められているわけでもない、自然のままに湧き出たメロディを紡いでいくことで生まれた、不思議な均整と調和。 そんなときに、ふと“神は我々と共におられる”という聖書の一節を思い出したりもする。 永遠に感じる暗闇に、はらりと差し込む一瞬のきらめき。 だからこそ、復活祭のこの時期に、ヘンデルの音楽を求めてしまうのかもしれない。

Ombra mai fu
 di vegetabile, 
cara ed amabile,
 soave più ─かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった